AIによる味わいの革命:進化するクラフトビール業界で注目の「AI醸造ビール」最前線

AI醸造ビールの技術イメージ

AIとIoT技術を活用したスマートビール醸造のコンセプト画像

伝統と革新が交差するクラフトビール業界に、新たな風が吹き始めています。長い歴史と職人技によって支えられてきたビール醸造の世界に、最先端のAI(人工知能)技術が融合することで生まれた「AI醸造ビール」が注目を集めています。職人の経験と勘に頼ってきた醸造プロセスに、データ分析と機械学習の力が加わることで、これまでにない味わいや効率性、そして創造性が実現されつつあります。

本記事では、日本のNECとコエドブルワリーによる画期的な「人生醸造craft」プロジェクトを中心に、世界各国で展開されているAI醸造ビールの最前線、その技術的背景、そして将来の可能性について詳しく掘り下げていきます。

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目次

日本発・AIビール醸造の先駆け「人生醸造craft」

日本におけるAI醸造ビールの代表的な事例として、NECとコエドブルワリーが共同開発した「人生醸造craft」が挙げられます。このプロジェクトは2020年に第1弾が発表され、そして2025年には最新のAI技術を活用した第2弾が展開されました。

世代間コミュニケーションを促進するビール

「人生醸造craft」プロジェクトの特筆すべき点は、単に美味しいビールを作るだけでなく、20代から50代までの各世代の特徴や価値観をビールの味わいで表現し、世代間のコミュニケーションを促進することを目的としている点です。世代ごとの特性をAIが分析し、それを色、香り、味として具現化するというコンセプトは、テクノロジーと文化的要素を融合させた革新的な取り組みとして高く評価されています。

人生醸造craftのロゴイメージ

NECとコエドブルワリーのコラボレーションによる「人生醸造craft」

2020年版:雑誌データからビールを生み出す

2020年の第1弾では、小学館から発行された過去約40年間の雑誌データをNECの「BluStellar AI」が分析し、20代〜50代の各世代の特徴を色、香り、味の指標に変換。そのデータをもとにコエドブルワリーの職人が実際のビールとして仕上げました。

たとえば「人生醸造craft~40’s YELLOW~」は現在40代の世代を表現しており、色は20代の頃に読んでいた雑誌のファッションの色合いから、香りは30代の頃に読んでいた雑誌に多く使われていた言葉から、そして味は40代の今、読んでいる雑誌のファッションテイストから導き出されました。これにより、各世代が歩んできた時代背景や価値観が味わいとして表現されています。

40代を表現するビールの分析例

STEP1:色
20代の頃に読んでいたファッション雑誌からファッション画像を抽出。ファッション画像を学習したAI(GAN)が大量の服の画像を生成し、そこからトレンドカラーを選出。それをビールの液色で表現。

STEP2:香り
30代の頃に読んでいた雑誌からテキストを抽出。単語の意味情報を学習したAI(Word Embedding)が雑誌テキストを香り指標に変換。フルーティ、キャラメルなどの香り指標をもとに職人が香りを表現。

STEP3:味
現在(40代)の雑誌からファッション画像を抽出。ファッションテイストを学習したAIがファッションテイストを味の指標(スウィート、ビター、サワー、ドライ)に変換。それをもとに職人が味わいを表現。

人生醸造craftの分析プロセス

人生醸造craftの開発プロセス

2025年版:Agentic AIとの協働による新たな挑戦

2025年の第2弾では、技術の進化を反映し、NECの生成AI「cotomi(コトミ)」を活用したAgentic AI(自律型AI)とビール職人の協働によって開発が進められました。Agentic AIとは、人間からの指示を受けた後、自律的にタスクを分解して実行できるAIシステムのことです。

具体的な開発プロセスは以下の通りです:

  1. ビール職人がAgentic AIに「20代日本人をイメージして、社内外のレシピ情報を参考に、新しいクラフトビールのレシピを作成して」とプロンプト入力
  2. Agentic AIが自律的にタスクを分解し、「cotomi」に刻まれた現代日本人の各世代の特徴や価値観を分析
  3. 並行して社内のレシピデータや世界中のオープンデータを検索・翻訳
  4. 収集・分析した情報を基に、レシピ案をビール職人に提案
  5. ビール職人とAIが共に協議を重ね、最終的なレシピを完成
人生醸造craft 2025年版の開発プロセス

Agentic AIを活用した人生醸造craftの開発プロセス(出典:NEC)

この第2弾の取り組みでは、レシピの作成時間が従来と比べて40%削減されたことも報告されており、AI技術による効率化の事例としても注目されています。また、AIと職人の協働により、クリエイティブな面でも新たな可能性が広がったことが示唆されています。

「AIを使ってみると、美味しそうなビールが作れそうなレシピがパッと出てきました。もちろん、そのレシピ通りに作っても面白いと思いましたが、AIの結果を踏まえて同僚と打ち合わせを重ね、アイデアの補足と自分のアレンジを少し加えてみることにしました。」(コエドブルワリー職人のインタビューより)

世界に広がるAI醸造ビールの動向

AIを活用したビール醸造は日本だけでなく、世界各国で様々な取り組みが行われています。特にデータ分析と機械学習を活用した味の予測・改良の分野で顕著な進展が見られます。

ベルギーの研究:AIによるビール評価の予測

ビール大国として知られるベルギーでは、ルーヴェン・カトリック大学の研究チームが、AIを活用してビールの味を予測・改良する研究を進めています。研究チームは5年間で250種類の市販ビールを化学的に分析し、各ビールの化学的性質と風味化合物を測定。この詳細な分析結果と、訓練を受けたテイスターによる評価、そして人気ビール評価サイト「レートビアー」の18万件のレビューを組み合わせてAIモデルを訓練しました。

その結果、ビールの味、香り、口当たりと消費者評価を高い精度で予測できるAIモデルが開発され、レートビアーでのビール評価を予測するテストでは、訓練された人間の専門家よりもすべてのAIモデルが優れた結果を示したとされています。

さらに、このモデルを通じて、消費者の高評価につながる特定の化合物を特定することにも成功。例えば、酸味のあるサワービールに存在する乳酸を他の種類のビールに加えることで、よりフレッシュな味わいとなり、全体的な評価が向上するという予測をAIが行いました。実際にその予測に基づいてビールに化合物を加えたブラインドテイスティングでは、味が向上し、評価が上がったという結果が得られています。

AIを活用したビール醸造のイメージ

AIがビール醸造プロセスに変革をもたらしている(出典:Bernard Marr)

「BrewMaster AI」:バイエルンの革新的なアプローチ

ビール醸造の伝統が根付くドイツのバイエルン地方では、「TechHops Solutions」というスタートアップが開発した「BrewMaster AI」が注目を集めています。高度なセンサー技術と深層学習アルゴリズムを組み合わせたこのAIは、材料、発酵プロセス、風味プロファイルを前例のない精度で分析できるとされています。

BrewMaster AIの特徴は、単に伝統的なレシピを再現するだけでなく、世界中の醸造傾向と風味の組み合わせに関する膨大なデータを分析し、新しい複雑な味わいのビールを生み出す点にあります。これにより、バイエルンの伝統を尊重しながらも、現代の嗜好に合った革新的なビールの開発が可能になりました。

Old Oak Breweryという家族経営の醸造所での実証実験では、当初はAI技術を醸造プロセスに導入することに懐疑的だった職人たちも、BrewMaster AIのホップとモルトの選定の精度や、温度と発酵時間の完璧な調整能力を目の当たりにして、その価値を認めるようになったと報告されています。

北米におけるAI活用:効率化と品質向上を目指して

北米のクラフトビール業界でも、AIの活用が進んでいます。特に注目されているのは、オハイオ州コロンバスの醸造所で導入されたAIシステムです。このシステムは新しいレシピや醸造方法の開発に活用されており、遺伝子組み換え酵母のようなユニークな材料のデザインにも応用されています。

また、Sugar Creek Brewing Companyでは、AIを活用して醸造プロセスの効率化と全体的な醸造体験の向上に取り組んでいます。AIによる製造データの分析により、品質の一貫性確保や原材料の最適化が実現されています。

スマートビール醸造のワークフロー

IoTとAIを活用したスマートビール醸造のワークフロー(出典:Signicent)

AI醸造技術がもたらす革新と可能性

AIがビール醸造にもたらす革新は、単に製造プロセスの効率化だけにとどまりません。味の予測と改良、品質の一貫性確保、そして創造的なレシピ開発など、多岐にわたる領域で新たな可能性が広がっています。

データ駆動型の味わい設計

従来のビール開発では、醸造マスターの経験と直感に基づく試行錯誤が中心でした。それに対してAI技術は、膨大なデータから導き出される客観的な洞察を提供します。例えば、NECの「人生醸造craft」では、雑誌データやその他の社会文化的データを分析することで、各世代の特徴を味わいとして表現することに成功しています。

ベルギーの研究事例では、AIが消費者の高評価につながる特定の化合物を特定し、それをもとに既存のビールの味わいを改良するアプローチが取られています。このようなデータ駆動型の味わい設計により、消費者の嗜好に合った新たなビールスタイルの開発や、既存ビールの品質向上が期待できます。

製造プロセスの最適化と効率化

ビール醸造は温度、時間、材料の配合など、多くの変数が関与する複雑なプロセスです。AIはこれらの変数を常時モニタリングし、最適な条件を維持するための調整を自動的に行うことができます。

例えば、FoodPairing、MyBrewbot、Plaato Airlockなどのツールは、材料の分子構成の分析、発酵の遠隔監視・制御、CO2レベルのリアルタイム測定などを通じて、醸造プロセスの最適化と効率化をサポートしています。これにより、時間とリソースの節約だけでなく、品質の向上と一貫性の確保も実現されています。

AI×職人技:補完関係による創造性の拡張

AI技術の導入は、職人の知識や技術を置き換えるものではなく、むしろそれを補完し、拡張する役割を果たしています。NECとコエドブルワリーの「人生醸造craft」プロジェクトでは、AIが提案したレシピをもとに、職人がさらにアイデアを加え、調整を行うという協働プロセスが確立されています。

「調べ物をする作業を代わりにやってくれたので、細かいレシピの検討に集中することができました。優秀なアシスタントって感じです。」(コエドブルワリー職人のコメント)

バイエルンの「BrewMaster AI」の事例でも、AIは人間の醸造マスターに取って代わるのではなく、それと協力して働くパートナーとして位置づけられています。AIが世界的な醸造傾向やデータに基づく予測を提供し、人間の醸造マスターはその創造性と専門知識でそれを補完するという関係性が確立されています。

このようなAIと職人の共創により、伝統的な醸造技術の価値を維持しながらも、新たな創造性と可能性を追求することが可能になっています。

AI醸造ビールの未来展望

AI技術の急速な進化とクラフトビール業界の成長が続く中、AI醸造ビールの未来にはさらなる可能性が広がっています。以下では、今後予想される展開と課題について考察します。

パーソナライズドビールの時代へ

AIの発展により、個人の嗜好や体質に合わせたパーソナライズドビールの開発が現実味を帯びてきています。消費者のレビューデータ、購買履歴、さらには生体データなどを分析することで、一人ひとりの好みや体質に最適化されたビールを提案するシステムの登場が期待されます。

例えば、ベルギーの研究チームのケヴィン・フェルストレペン所長は、ノンアルコールビールの味わい向上にAIモデルを活用できる可能性を指摘しています。アルコールを抜いても満足感のある味わいを実現するために、AIが提案する化合物の追加がすでに効果を示しているとのことです。

また、ワシントン州立大学のキャロリン・ロス教授は、AIを活用することで年齢層など様々な消費者層に合わせた製品開発が可能になると述べています。例えば、高齢者向けには複雑さを抑えた味わいを、若年層にはより刺激的な味わいを提供するなど、ターゲット層に最適化されたビール開発が進む可能性があります。

持続可能性への貢献

AIによる生産プロセスの最適化は、資源の効率的利用と環境負荷の軽減につながる可能性があります。例えば、水やエネルギー使用量の削減、原材料の無駄の最小化などが実現されれば、より持続可能なビール製造が可能になります。

また、気候変動が原材料の品質や供給に影響を与える中、AIを活用した原材料の代替や適応戦略の開発も重要なテーマとなるでしょう。例えば、特定の地域で栽培された大麦やホップの特性をAIが分析し、気候変動に強い新たな原材料の開発や調達戦略の立案に役立てることが考えられます。

伝統と革新のバランス

AIの進展に伴い、伝統的な醸造技術とデジタル技術の融合をどのようにバランスさせるかという課題も浮上しています。クラフトビール業界の魅力の一つは、その職人気質と手作業による独自性にあります。AIの活用によって効率性や一貫性が向上する一方で、ビール造りの「クラフト」としての側面をどう維持するかが問われています。

この点に関して、NECとコエドブルワリーの取り組みは一つのモデルを示しています。AIと職人の協働により、テクノロジーの利点を活かしながらも、最終的な判断や創造性は人間の職人が担うというアプローチです。このような「人間中心のAI活用」が、今後のクラフトビール業界におけるAI導入の鍵となるかもしれません。

NECとコエドブルワリーのコラボレーションビール

生成AIを活用して開発されたクラフトビール「人生醸造craft」(出典:朝日新聞)

結論:「AI醸造」が拓くビールの新時代

AIとビール醸造の融合は、単なる技術的革新を超えて、味わいの可能性を広げ、効率性を高め、そして文化的な価値を創造する多面的な変革をもたらしています。NECとコエドブルワリーの「人生醸造craft」に代表される日本の取り組みや、ベルギー、ドイツ、北米などの事例は、それぞれに独自の特色を持ちながらも、共通して「AIと人間の共創」によるビール醸造の新たな姿を示しています。

今後、AI技術がさらに進化し、クラフトビール業界に浸透していく中で、消費者にとっては、より多様で個性的、そして品質の高いビールとの出会いが増えることが期待されます。また、醸造者にとっては、創造性を発揮する余地が広がり、より持続可能な形でビール造りを行うための新たなツールとなるでしょう。

ビール醸造の歴史は数千年に及びますが、AIとの融合によって始まった新たな章は、伝統と革新が共存する豊かな未来を約束しているように思えます。AIが導く味わいの革命は、クラフトビール業界に新たな可能性をもたらし、私たちの「乾杯」をさらに豊かなものにしていくことでしょう。

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この記事を書いた人

山口県下関市に住む30歳のフリーランスデザイナーです。地元の大学でグラフィックデザインを学び、東京で広告業界での経験を積んだ後、2020年に下関に戻りました。趣味は写真撮影とサイクリングで、自身のスマートホーム実践記録を中心に、IoT技術の基本から最新トレンドまで、地域に根ざした視点から、下関市ならではの生活課題へのテクノロジー活用事例も紹介していきます。

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